とじた瞼にひとすじ浮ぶ、歌は
2005 / 08 / 10 ( Wed ) 06:37
6月にいよいよ体調を崩した。
病院の薬を飲んでたんだけどなかなか良くならずしんどい日が続いた。
「こりゃ入院かなんかせんと治らんのじゃないかいな」と不安になった頃病院の点滴でとりあえず回復した。
(でもまた最近調子悪いので困っちゃってる)
そんなこんなでブログの更新が止まった。
回復するかせんかのうちにtomoの野球最後の大会が始まった。
どうもいろんなことがいっぺんにできないたちらしい。
「スパルタのHP辞めたのもちょうど3年前中学の野球が佳境の頃だったなあ」とか思い出していた。
tomoの野球が終わって書きたいことがたくさんあったのだけど、なんとなく再開ができなかった。
SPARTA LOCALSの新譜が好きな感じだったので
「やっぱりネットに繋ぎとめるものは(月間)スパルタ(くん)かあ。」とか思ってたけど、それも書かずに過ごしてしまった。
と、ここまでは昨日までのいいわけ(笑)
10年近くネットのひそやかな住人で、居なくなることなんて考えたことなかったけど自然にそうなるんならそれもアリかなあなんて漠然と考えたりした。
やっぱり書きたいという気持ちが沸き起こったのは昨日書いたスパルタローカルズのライブ映像ともうひとつ、
日記の形態をブログに移してからはあまり動かなくなってた掲示板にひとつの書き込みがあったから。
「貴方は誰?」
そう書かれてあった。
懐かしいひとの名前がそこにあった。
私が中学生だった頃の話だ。
ラジオで流れたひとつの曲が耳から離れなくなった。
アマチュアミュージシャンの公開録音番組で流れたその曲とその声に私は心を奪われてしまった。
そのひとをきっかけに当時の福岡の音楽シーンにはまった。
チューリップや甲斐バンドが福岡に居た頃よりよりほんの少し後で、長渕剛はほんの少し遅れて照和で歌いだす。(大学生だった頃の長渕を照和で見たよ)
もちろんロッカーズやルースターズは多分存在すらしてなくて、アンジーだってずっと後の話だ。
バンド編成だったときのピアノの女性もすごく好きで、ブルース主体の彼の音楽がもう好きで好きで好きで。
ラジオの放送録音して繰り返し聴いた。
同時期にバンドのようなものも作ったので彼の出たその公開録音番組に出演もした。
小学校の頃知ったはっぴいえんどの細野晴臣がソロで活動していたんだけどその後にイエロー・マジック・オーケストラを結成するまで、おなじくはちみつぱいのメンバーのその後MOONRIDRESが『モダン・ミュージック』を発売するまで、私の中のベストミュージシャンは秋吉恵介というひとだった。
多分どちらかの日記を偶然見つけられたのだろう。
2004年01月04日(日)
2001年06月05日(火)
音楽業界にいらっしゃるのは知っていたから、いつかは目に留まる偶然もないことはないだろうとは思っていたけれど、ほんとにそんなことがあるなんて!
う〜ん。あの頃の自分を振り返るのは恥ずかしいぞ。
だけど、ネットに存在してなかったら味わえなかった思いだぞ。
そして何十年も前の音楽は今でも鮮やかに蘇る。
私はこれからも新しい歌を聴き続けるけれど、これまでに知って心に残った歌は決して消えない。
姿形が変わっても、考えることが変わっても、歌は決して消えない。
そして、そんな歌を知っていることの幸せを心にぎゅっと抱きしめた。
そんな想いも、やっぱり書いておくに越したことはないなあと思ったのよ。
今日のタイトルはこの曲の歌詞
病院の薬を飲んでたんだけどなかなか良くならずしんどい日が続いた。
「こりゃ入院かなんかせんと治らんのじゃないかいな」と不安になった頃病院の点滴でとりあえず回復した。
(でもまた最近調子悪いので困っちゃってる)
そんなこんなでブログの更新が止まった。
回復するかせんかのうちにtomoの野球最後の大会が始まった。
どうもいろんなことがいっぺんにできないたちらしい。
「スパルタのHP辞めたのもちょうど3年前中学の野球が佳境の頃だったなあ」とか思い出していた。
tomoの野球が終わって書きたいことがたくさんあったのだけど、なんとなく再開ができなかった。
SPARTA LOCALSの新譜が好きな感じだったので
「やっぱりネットに繋ぎとめるものは(月間)スパルタ(くん)かあ。」とか思ってたけど、それも書かずに過ごしてしまった。
と、ここまでは昨日までのいいわけ(笑)
10年近くネットのひそやかな住人で、居なくなることなんて考えたことなかったけど自然にそうなるんならそれもアリかなあなんて漠然と考えたりした。
やっぱり書きたいという気持ちが沸き起こったのは昨日書いたスパルタローカルズのライブ映像ともうひとつ、
日記の形態をブログに移してからはあまり動かなくなってた掲示板にひとつの書き込みがあったから。
「貴方は誰?」
そう書かれてあった。
懐かしいひとの名前がそこにあった。
私が中学生だった頃の話だ。
ラジオで流れたひとつの曲が耳から離れなくなった。
アマチュアミュージシャンの公開録音番組で流れたその曲とその声に私は心を奪われてしまった。
そのひとをきっかけに当時の福岡の音楽シーンにはまった。
チューリップや甲斐バンドが福岡に居た頃よりよりほんの少し後で、長渕剛はほんの少し遅れて照和で歌いだす。(大学生だった頃の長渕を照和で見たよ)
もちろんロッカーズやルースターズは多分存在すらしてなくて、アンジーだってずっと後の話だ。
バンド編成だったときのピアノの女性もすごく好きで、ブルース主体の彼の音楽がもう好きで好きで好きで。
ラジオの放送録音して繰り返し聴いた。
同時期にバンドのようなものも作ったので彼の出たその公開録音番組に出演もした。
小学校の頃知ったはっぴいえんどの細野晴臣がソロで活動していたんだけどその後にイエロー・マジック・オーケストラを結成するまで、おなじくはちみつぱいのメンバーのその後MOONRIDRESが『モダン・ミュージック』を発売するまで、私の中のベストミュージシャンは秋吉恵介というひとだった。
多分どちらかの日記を偶然見つけられたのだろう。
2004年01月04日(日)
2001年06月05日(火)
音楽業界にいらっしゃるのは知っていたから、いつかは目に留まる偶然もないことはないだろうとは思っていたけれど、ほんとにそんなことがあるなんて!
う〜ん。あの頃の自分を振り返るのは恥ずかしいぞ。
だけど、ネットに存在してなかったら味わえなかった思いだぞ。
そして何十年も前の音楽は今でも鮮やかに蘇る。
私はこれからも新しい歌を聴き続けるけれど、これまでに知って心に残った歌は決して消えない。
姿形が変わっても、考えることが変わっても、歌は決して消えない。
そして、そんな歌を知っていることの幸せを心にぎゅっと抱きしめた。
そんな想いも、やっぱり書いておくに越したことはないなあと思ったのよ。
今日のタイトルはこの曲の歌詞
BGM:秋吉恵介「ララバイブルース」





